天空の城 三宜亭本館

ごあいさつ

明治八年
飯田城址に建つ料亭として創業

月雪の 眺めのみかは 咲く花も 幾代の春に 匂う宿かな(上柳外川)

天空の城 三宜亭本館は、飯田城址の高台に建つ、味覚・眺望・天然温泉のお宿です。 三宜亭の屋号は、料亭として開業した明治当初に、この地方の文化人である上柳外川うえやなぎがいせんによって詠まれた句に由来します。

月雪の 眺めのみかは 咲く花も 幾代の春に 匂う宿かな

春に花よし 秋に月よし 冬に雪よし

「雪」と「月」、そして「花」と三つに宜しいことから、同じく地元の文人・画人である大平小洲おおだいらしょうしゅうにより「三宜亭」と命名されました。

春に花よし 秋に月よし 冬に雪よし三宜亭 夏にこそ来め さらに四宜よき

歴史ロマン溢れる当館で、お客様にとっての四つめの「宜しい」を是非ともお探しください。

三宜亭本館の歩み

三宜亭が建つ場所には元々飯田城がありましたが、明治の廃城令により取り壊しになりました。その後 本丸跡には飯田城最後の城主 堀家の先祖三代を祀った長姫神社が建てられ、「御三霊ごさんれい」様とも呼ばれ地元に親しまれています。長姫神社隣の当館の位置には、武器弾薬庫及び宝物殿であった山伏丸が存在したとされます。

飯田城の歴史

明治
大正

明治八年創業

ツツジと藤の庭園

城守をしていた創業者が、城址の一部を譲り受けました。
せっかくの眺望を活かす術はないかとツツジと藤の庭園を整え、料亭として開業しました。そこは当時の趣味人たちが遠くの山並や田畑を眺めながら、ゆったりと酒を酌み交わす社交の場となりました。

昭和

第二次世界大戦

昭和 三宜亭旅館前

戦時中は「贅沢は敵だ」のスローガンのもと、花鳥風月を愛でるような風雅なことはお上の取締りの対象でした。加えて、物資不足の中「食料増産のために庭木を伐採して畑に転地しお国に協力せよ」というお達しがまさに発せられる寸前、終戦を迎えます。ツツジの庭園があわや芋畑に、というところで危機を逃れたのでした。

他方で追手町小学校辺りから当館へ通じる追手町筋には、戦時中まで立派な桜並木があり人々に愛されていましたが、戦争が厳しい状況になるにつれ「花見などと呑気なことは風潮に反する」からと切り倒されてしまったそうです。

戦後

終戦直後に進駐軍が飯田地方を訪れるにあたって、この地方には宿泊施設がなかったため、お上の命により旅館営業を始めることになりました。当時の女将は物資不足のなか、嫁入りに持参した着物を何枚も倒してお客様用の布団を作ったとのことでした。

平成

平成七年
天然温泉出湯

地下1,300mより出湯、泉質はアルカリ性単純温泉の美人の湯。
豊富な湯量と泉質に恵まれ、自慢の天然温泉として皆様に愛され、現在に至ります。

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